沿革
大正06年 | 相模平野一帯で収穫された小麦原麦を処理するため、小麦粉製造を目的とする「合名会社相模製粉」を設立。 |
大正13年 | 関東大震災により工場倒壊、再建のため株式会社に改組「相模製粉株式会社」となる。 資本金900万円。以降、戦前戦後を通じて50有余年にわたり、政府の食糧行政の一翼を 担い、パン・麺・菓子の需要家に小麦粉を供給。 |
昭和44年 | 工場の場所が駅前立地となり公害問題対処のため移転を計画。将来展望より港湾地帯へ
の進出を意図したが立地難により断念。全社員協議の末、痛惜の念で製粉業の廃業を決定。 |
昭和45年 | 工場跡地を有料駐車場にして再出発。資本金1,500万円に増資。 |
昭和48年 | 鉄骨造2階建建物を新築し、藤沢520番地から973番地へ本社を移転。 |
昭和49年 | 「相模パーキング」完成(立体駐車場190台収容) 「相模プラザ第1ビル」完成(地下1階・地上6階建)、一括賃貸ビルとして(株)ダイエーに賃貸、「ダイエー藤沢店」として開店。 ここに事業目的の主軸となる不動産賃貸、駐車場経営が固まる。 |
昭和50年 | 果樹・園芸植物の販売を目的とした「相模フラワー」を開業。 |
昭和51年 | 資本金を2,000万円に増資。 |
昭和52年 | 複合ビル「相模プラザ第2ビル」完成(地上3階建)。1階テナントの他、直営事業として不二家洋菓子・喫茶、不二家レストラン、宴会場、 貸室などを新規開業。洋菓子の販売、飲食店経営を事業目的に追加。 「相模パーキング」増設(地上5階建、220台収容) |
昭和58年 | 本社を「相模プラザ第2ビル」内へ移転(藤沢970番地) |
昭和62年 | 第3ビル建設のため「相模フラワー」を廃業。 |
昭和63年 | オフィス専用テナント向けインテリジェントビル「相模プラザ第3ビル」完成(地上6階建) 藤沢市の要請により、モーターバイク専用駐車場を開設(延収容台数50台) |
平成元年 | 「(株)リゾートピュア・ピュアスポーツクラブ」設立(資本金4,000万円) マリンスポーツを目的とした諸施設を完備、その他ショップ、レンタル業、スクール、 レストランを併設した会員制の「ピュア・スポーツクラブ」開業(片瀬海岸東浜) |
平成05年 | 「(株)リゾートピュア・ピュアスポーツクラブ」を「相模製粉株式会社」に合体し
吸収新業態店舗を目指し、お好み焼き「一心」を開店(相模プラザ第2ビル1F) |
平成07年 | お好み焼き「一心」を風流お好み焼き「惚太郎」に店名変更 |
平成12年 | 「相模プラザ鎌倉」完成。 風流お好み焼き「惚太郎」鎌倉小町店出店。一部テナント。 |
平成13年 | 「レストラン不二家」廃業。スペイン料理「タパタパ」に業態転換。 |
平成18年 | 9月「相模プラザ第5ビル」(直営店及びテナントビル)「MSパーキング南口」完成。(藤沢市鵠沼石上1-3-3) 風流お好み焼き「惚太郎」藤沢南口店出店(1、2階)、 イタリア料理「チェーナ」出店(地下1階)。 |
平成22年 | 「相模プラザ第2ビル」売却に伴い、本社を「相模プラザ第3ビル」内へ移転(藤沢973番地6階)。 風流お好み焼き「惚太郎」藤沢北口店閉店。 スペイン料理「タパタパ」を閉店し、ワイン食堂「タパタパ」に業態転換(「相模プラザ第5ビル」地下1階に出店)。 イタリア食堂「チェーナ」閉店。 MSパーキング閉鎖。 |
創業者 田中勇吉
二代目 田中重五郎
三代目 田中喜一
代表取締役社長 田中正明